秋田県鹿角市の「比内地鶏・地のもん王国」。比内地鶏、きりたんぽ鍋など、美味しい地のものお取り寄せサイト。
比内地鶏・地のもん王国
オープン記念・送料無料
電話でのお問い合わせ
FAXでのお問い合わせ
その他お問い合わせ


郷土料理

きりたんぽ鍋発祥の地、鹿角

郷土料理きりたんぽ
きりたんぽ鍋発祥の地、鹿角
きりたんぽのルーツ。
「きりたんぽ」そのものが生まれたのは、秋田県北部の米代川流域といわれています。その昔、山に入って木を伐採したり運搬する仕事をする人たちは山子と呼ばれていました。山子は数人で組を作り山奥に入りましたが、持参する道具や食料、炊事道具は必要最低限。もちろん毎日の料理も簡単に作れる質素なものでした。
余ったご飯は杉の串に巻きつけて小屋の中に設けられた囲炉裏の上に刺しかけ、表面を焼きおにぎりのように焼く。こうすることによってご飯は数日間は保存できるようになります。ご飯を厚く巻きつけると中まで火が通らないので、ほどほどの厚さで巻き、串をもったまま手軽に食べられるよう串も長くするなどの工夫がなされ、現在のきりたんぽのような形になったと考えられています。この形が稽古用の槍、たんぽ槍に似ていることから、やがてたんぽと呼ばれるようになりました。
木の伐採や運搬は重労働ですから仕事を終えて小屋に帰ってくると、お腹はペコペコ。山子たちは食事当番が夕飯を作っている間に囲炉裏の上からたんぽを抜き取り、味噌を塗り囲炉裏の火で焼きながらかぶりついたといいます。この味噌付けたんぽこそがきりたんぽのルーツといわれています。
味噌付けたんぽ
味噌付けたんぽ
最近、鹿角市のきりたんぽに関するイベントで、その山子たちが食べた昔のきりたんぽ鍋が再現されました。それはキジ肉を使った味噌仕立てに野菜類を加えたもので、現在のきりたんぽ鍋とはまったく異なります。山子たちは山中で獲ったヤマドリやウサギなどの鳥獣を味噌で煮込み、それにキノコや山菜を入れ、最後に囲炉裏の上からたんぽを引き抜き、手でちぎって入れ、煮ながら食べていたと推測されています。
鹿角市花輪産の醤油があってこそ誕生した「きりたんぽ鍋」。
明治以前、秋田県北部の一般庶民が使っていた調味料は味噌、塩、それに麹など。醤油や砂糖は高級品で一部の金持ちだけしか手に入れることはできませんでした。江戸時代、醤油の一大産地は千葉県の銚子や野田で、秋田県内に入ってくる醤油はほんのわずかだったといいます。鹿角地方には尾去沢鉱山や小坂鉱山など大きな鉱山があり、明治以降は中央から鉱山関係の社員や技術者が集まり、その人たちは秋田に赴任するにあたり鹿角地方では手に入らない醤油を持参。また本社出張の際にも買い求めてきたそうです。
鉱山は活況を呈し、一帯には多くの労働者も集まってきました。鹿角地方の行政のトップや鉱山関係者は鹿角でも醤油を手に入れることができるよう、花輪町(現在の鹿角市花輪町)で代々商売を営んでいた浅利佐助商店の3代目、浅利佐助に醤油の醸造を始めるよう強く進言。これからの時代は庶民も醤油を使うようになるだろうと確信した佐助は、醤油作りを決断。明治5年(1872)、醤油醸造の先進地、千葉県の銚子から杜氏を招き醤油作りを始めました。その時に仕込んだ醤油は50石(1石は約180リットル)。以来、浅利佐助商店では鹿角の地で醤油を作り続けています。


浅利佐助商店



明治40年の記念写真。花輪町にあった醸造場の前で明治40年の記念写真。花輪町にあった醸造場の前で。
創業当時に使用していた50石入りの樽と現在の社屋創業当時に使用していた50石入りの樽と現在の社屋。


仕込み樽が並ぶ醸造場の内部仕込み樽が並ぶ醸造場の内部。
現在使用している醤油充填機現在使用している醤油充填機。
花輪町の料亭から、大館市、秋田市の料亭へ。今では「秋田名物」に。
現在のような醤油仕立てのきりたんぽ鍋が誕生したのは、鹿角に醤油が普及し始めた明治10年以降のことといわれています。文献によると最初に醤油仕立てのきりたんぽ鍋を作ったのは花輪町の料亭で、使われた醤油はもちろん浅利佐助商店の最高級品、入大(いりだい)醤油(現在の本醸造特級福寿醤油)でした。その作り方は花輪町の料亭や料理屋はもちろん大館市の料亭にも伝わり、鹿角、大館地方を中心に食べられるようになりましたが、まだまだ県北部のローカルな郷土料理のままでした。
それが広く知られるようになったきっかけは、明治26年(1893)創業の大館の老舗料亭「北秋くらぶ」の 初代・石川重吉氏が、きりたんぽを現在のスタイルに整え、料理としての「比内地鶏きりたんぽ鍋」を完成させたからといわれています。きりたんぽには比内地鶏という今ではお約束の取り合わせも、この店から生まれたもの。5代、120年以上の長きに渡りきりたんぽ鍋の普及に尽力。大館を本場と言わしめ、「北秋くらぶ」を自他ともに認める元祖とする所以がここにあります。
さらに、昭和元年(1926)には、県都・秋田市の料亭「濱乃家」の主人・宮腰了三郎氏が花輪の料亭「一二三軒」できりたんぽ鍋の作り方を伝授され、秋田市に伝わりました。その後、次第に秋田名物として知られるようになりました。
本場!大館の元祖!「北秋くらぶ」
本場!大館の元祖!「北秋くらぶ」。
秋田名物の育ての親(?)「料亭 濱乃家」
秋田名物の育ての親(?)「料亭 濱乃家」。
きりたんぽ鍋といえば、現在は醤油仕立てが普通です
きりたんぽ鍋といえば、現在は醤油仕立てが普通になりました。

王国とはTOPへ
ショッピングサイトTOPへ

新規で会員登録された方に100ポイント進呈

比内地鶏 きりたんぽ鍋 王国の無添加パン 送料無料得々セット 王国マルシェ

同梱可能な商品で選ぶ

常温と冷蔵で同梱可能な商品一覧
冷蔵と冷凍で同梱可能な商品一覧
常温・冷凍・冷蔵の同梱について 法人のお客様(業務用商品のご案内) 王国の比内地鶏たち
王国の比内地鶏たち

きりたんぽ鍋の作り方
きりたんぽ鍋の作り方

王国・比内地鶏物語 芳醇な比内地鶏の作り方
わたしたちのミッション/比内地鶏への思い

ページトップへ